暑さ厳しき折、と暑中見舞いを書き出したら、
驟雨が走り、涼しい空気が頬をなでた。
冬物は仕舞い込んであるので、パジャマで重ね着に。
見れたものではないが、どうせ家に根が生えた身分。
文句を言ってくれる人もいない。
かはたれ時、微かに甘い香りが漂う。
「ああ、此れは」
亡くなった父が大切に育てていた東洋蘭だ。
生前、父は休みのほとんどすべてをこの東洋蘭に費やした。
お陰で真っ黒に日焼けし漁師のようだった。
「ほら」
たまに父が私に声をかける。赤花が咲いた時だ。
残念ながら、東洋蘭の繊細な奇跡に興味もなく、
私は「へぇ」と気のない返事をしただけであった。
蘭などと言うと、育てるのが難しいと思われるのだが、
父が亡くなって、母が一度、植え替えをしただけである。
母親はどちらかと言うと、他者に興味を抱かないタイプ。
父は繊細で、孤独に育ったこともあり、料理、洗濯、掃除、裁縫と
別に当たり前のように「静的」にこなすタイプだった。
残念ながら私その両親のあまり芳しくない部分を受け継いでいるようだ。
しかし、今年は東洋蘭の香りが妙に鼻を擽る。
百合のように過激でも蒲公英のように臆病でもなく、
微かに、しかし孤高の清らかさを持って、私を誘う。
温室を訪ねると、去年より元気に育っている。
勢いがよく、微妙なグラデーションのブルーが冴えている。
「ん?」ふと、下段のひとつが少女の唇のようにポチッと赤く咲いている。
「赤花かぁ」
ちょうど散歩から帰宅した母親に告げる。
「まぁ、いい香り。しかし、楽な植物よねぇ。
今年は春にそこのバケツの青い液体、
少し薄めて、撒いておいたのよ。あれがよかったのね」
父の東洋蘭たちは、運に恵まれている方だろう。
私にも運を。と、天空を見上げたら雨が降り出した。
「さっ、今夜は我が家特製のぎょうざよ!雨戸、閉めて」
「おっ、もう6時のニュースか」
残念ながら、私は若干、母似である。
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